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2009/11/16 14:12
今回、千葉県佐原に行くことになったのは他でもなく |
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2008/06/08 13:08
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| タイトル | 日 時 |
|---|---|
南禅寺 琵琶湖疎水の水道橋 −京都−
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2008/04/05 11:33 |
西利の千枚漬 −京都−
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2008/03/30 12:43 |
鹿みくじ −奈良・春日大社−
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2008/03/24 18:28 |
糊こぼし −奈良・萬々堂通則−
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2008/03/23 09:58 |
湯豆腐 奥丹 −京都−
|
2008/03/20 12:51 |
鹿せんべい −奈良−
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2008/03/20 12:30 |
1257回目の東大寺お水取りのお松明を見ました
|
2008/03/10 14:13 |
毛越寺二十日夜祭 −岩手県・平泉−
|
2008/01/22 13:46 |
奈良漬 −今西本店−
|
2008/01/19 10:12 |
東大寺の鹿 −奈良−
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2008/01/17 13:07 |
Dr.野口 廣末酒造 −会津−
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2007/12/26 16:39 |
あかべぇ 福島県会津若松周辺
|
2007/12/26 16:35 |
亀の子煎餅 八重吉煎餅店 岩手県奥州市江刺区
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2007/12/26 16:29 |
平泉文化遺産ツアー&景観まちづくりフォーラム
|
2007/12/17 15:44 |
大内宿 三澤屋 高遠そば
|
2007/12/03 14:51 |
喜多方ラーメン元祖の店 源来軒
|
2007/12/03 14:42 |
東大寺大仏殿 −奈良−
|
2007/03/25 06:36 |
東大寺二月堂お水取り −奈良−
|
2007/03/18 06:44 |
大浦天主堂 −長崎−
|
2007/02/11 06:07 |
港町 −長崎−
|
2007/02/11 06:06 |
オランダ坂 −長崎−
|
2007/02/11 06:05 |
鉄道発祥の地 −長崎−
|
2007/02/11 06:00 |
出島の木 −長崎−
|
2007/02/11 05:59 |
出島の町並み −長崎−
|
2007/02/11 05:58 |
出島 −長崎−
|
2006/11/06 22:51 |
た〜らこ〜♪
|
2006/10/12 21:43 |
眼鏡橋 −長崎−
|
2006/09/28 22:37 |
旧町名表示 −長崎県・長崎市−
|
2006/09/28 22:29 |
城下町迷宮 −男の隠れ家− 盛岡
|
2006/09/23 21:48 |
長崎さるく博
|
2006/09/17 06:11 |
長崎くんち
|
2006/08/07 23:22 |
長崎 グラバー園 グラバー邸
|
2006/07/23 22:13 |
長崎グラバー園内 「自由亭」
|
2006/07/10 22:03 |
あじさい(おたくさ)−長崎市花−
|
2006/06/28 22:53 |
雨の大浦天主堂 −長崎−
|
2006/06/27 21:59 |
天むす -千寿(セントレア)-
|
2006/06/26 22:34 |
いわて花巻−中部国際空港
|
2006/06/21 22:08 |
長崎・福岡ぶらぶら節
|
2006/06/13 23:33 |
中尊寺 金色堂
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2006/01/01 22:36 |
長者ヶ原廃寺跡 伝金売吉次屋敷跡 −衣川村−
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2005/11/06 08:44 |
陣ヶ岡 蜂神社 −紫波町−
ここは岩手県紫波郡紫波町「陣ヶ岡」。 坂上田村麻呂から歴代、陣が置かれてきた場所である。 日本武尊の王子の墓まで伝承されていて日本史が凝縮されているような錯覚さえ覚える。 源頼義、義家父子が植えた杉の木は根元だけのこっている。 さて、源頼朝が奥州藤原氏を攻めた時にもここに陣がはられ、藤原泰衡の首がとどけられたのもこの地と伝えられている。 頼朝は、この地に一週間滞在。さらに北の厨川の地(現在の盛岡市)にも一週間滞在している。 いまの大河ドラマ「義経」を見ていると、これほど鎌倉を離れ動... ...続きを見る |
2005/10/24 23:21 |
天昌寺の観世音菩薩像
たいへんご無沙汰いたしました。 義経と平泉終焉の旅路は盛岡・天昌寺からはじまりました。 盛岡にいながらまだ目にすることのなかった観音像を拝むことができました。 ...続きを見る |
2005/10/23 16:26 |
何時半次郎 雨の中の旅
みなさん大変ご無沙汰でござんした。 なんもかんも忙しい一週間で公私といっても私のほうは特にごちゃごちゃでがんしたなっす。 ...続きを見る |
2005/10/16 17:26 |
渋沢邸 −青森県・三沢市・古牧温泉渋沢公園−
古牧温泉地内に渋沢公園として渋沢栄一とその嫡孫敬三が住んだとされる邸宅が移築保存されている。 渋沢栄一1840(天保11)−1931(昭和6) 武蔵国(埼玉県深谷市)の豪農の家に生れる。慶応3年、パリの世界万国博に将軍慶喜の名代に随行し、ヨーロッパ資本主義経済を学んだ。帰国後、新しい豊かな日本経済の発展の為に日本初の第一国立銀行を創立し、この銀行を足場に500を超える企業の設立、指導援助にあたった。日本の近代産業のあらゆる分野にわたっての栄一の関りは、日本資本主義を築いた実業界の神様といわ... ...続きを見る |
2005/09/19 17:19 |
日本中央の碑 -青森県・東北町-
青森県東北町に「日本中央の碑歴史公園」があり、ここに「日本中央の碑 つぼのいしぶみ保存館」というのがある。 国道4号線沿いで、野辺地の海岸は何キロも離れていない。 義経北行伝説ツアーで、この公園前の道を通ったのであったが、保存館の建物の中にあるため、時間外(開館時間午前9時〜午後4時)だったこともあり、見ることが叶わず、今回改めて訪れることになったのである。 一般的には「つぼのいしぶみ」と呼ばれているようだが、ここにあるのは「都母の石文」で「つものいしぶみ」と呼ぶのが正しいようである。 ... ...続きを見る |
2005/09/19 11:17 |
十三湖 −青森県・市浦村−
福島城跡 福島城は十三湖の北岸、標高20メートル程の大地上に位置する。 一辺約1キロメートルの三角形をした総面積62万5千平方メートルの壮大な規模を持つ城郭で、内郭と外郭から成る。 内郭は一辺200メートルの規模で、土塁と堀によって区画されている。 これまで伝承に従って、安藤(安東)氏の居城と考えられてきたが、発掘の結果、平安時代末の築城と考えられる。 「市浦村 説明板」 より ...続きを見る |
2005/09/18 05:46 |
青函トンネル
「竜飛崎温泉 ホテル竜飛」さんのロビーの真下を青函トンネルこと「青函隧道」が通っている。 トンネル工事の測量基準点として使われた鋲が床に埋め込まれて「渡海三角点」になっている。 昭和39年工事着工。 昭和58年先進導坑貫通。 昭和60年本坑貫通。 昭和63年青函トンネル開通。 電車が通ると七色のライトで照らされるんだって。 ...続きを見る |
2005/09/18 05:30 |
龍飛埼 −青森県・津軽半島−
いよいよ「龍飛埼」にやってまいりました。 風の強いということで有名な・・・と思いきやほぼ無風。 名物発電風車も1基しか回っておりませんでした。 しかし、津軽海峡の海流は激しい。さすがに大間ではマグロが捕れるわけです・・・とそのイメージを想像させられる具合。 地元の人でも「こんなに見渡せることは年に何回もありません」というほどよく見えて、函館山も・・・「こっから啄木拝めばいいんだ」と言ったのは私でした。さらに奥には駒ヶ岳まで。 ここに来たら有名なのは「階段国道」なのですが、想像とは大違... ...続きを見る |
2005/09/18 05:15 |
ほたてせんべい −青森県・蟹田町−
義経北行伝説を辿る旅の途中、青森県の津軽半島、蟹田町の「TOPMAST」に立ち寄った。 その物産コーナーでもいろいろあったのだが、なんとトイレの中にまで掲示して宣伝されていたのは「ほたてせんべい」である。 これはネットでも販売しているというので、一度試されたい方は検索していただきたい。 風味は「バター」とレッテルに記されてある。 まず、開封のとたん、ほたて風味でいっぱいに包まれる。 せんべいは普通のせんべいであるが何よりホタテ風味である。 バター味はそれほどしない。私好み的にいうと... ...続きを見る |
2005/09/17 17:31 |
龍馬山 義経寺 −青森県・三厩村−
厩石の道を挟んだ隣の山の上に「龍馬山 義経寺」がある。 厩石の三頭の龍馬に乗って義経と弁慶、そして亀井六郎が海峡を渡ったとされている。 さて、義経寺はもと「龍馬山 観音堂(真言宗)」という小さな寺でしたが、寛文7年(1667)円空上人が観音像を夢に見てこの地にくると、その観音像は義経が兜の中に納めて戦いに勝つことができたという霊験あらたかな一寸二分の小さな銀の仏像だったそうです。 円空は観音像を彫り、銀の像をこの観音像の胸にこめ、これを安置するため一堂を建てたのが観音堂の起源だという。そ... ...続きを見る |
2005/09/14 10:07 |
厩石 −青森県・三厩村−
厩石の由来 文治5年(1189)、兄頼朝の計らいで、衣川の高館で藤原泰衡に急襲された源義経は、館に火をかけ自刃した。これが歴史の通説であるが、義経は生きていた! 藤原秀衡の遺書(危難が身に迫るようなことがあったら館に火をかけ、自刃を粧って遠くの蝦夷が島(北海道)へ渡るべし)のとおり北を目指しこの地に辿り着いた。 近くに蝦夷が島を望むが、荒れ狂う津軽海峡が行く手を阻んで容易に渡ることが出来ない。そこで義経は海岸の奇岩上に座して、三日三晩日頃信仰する身代の観世音を安置し、波風を静め渡海できる... ...続きを見る |
2005/09/12 21:37 |
貴船神社 −青森県・青森市−
御祭神はタカオガミ。社伝によると大同2年(807)坂上田村麻呂の創建という。また、文治5年(1189)平泉衣川の戦いに敗れた源義経が蝦夷地へ落ちのびる時に、この地で海上安全を祈願したという。一説には義経がこの際勧請したとも伝えられるなど、数々の義経伝説がのこっている。 慶長年間までは小さなほこらだったが、慶安2年野内村の庄屋蝦名万助と村民によって再建された。 元禄9年、四代藩主津軽信政は郡内4社の一つに貴船神社を選び、農業神として五穀豊饒、風雨順調を祈願した。同じ御祭神を祀る京都の貴船神社... ...続きを見る |
2005/09/12 21:11 |
浅虫の夕陽 −青森県・青森市−
義経北行伝説ツアーのお宿は浅虫温泉。 浅虫海岸の象徴ともいえる「湯の島」を眺める部屋で黄昏時をずーっと外を見ながら過ごしました。 雨模様でもあった1日から見れば信じられないきれいな夕陽。 さらに北へと向かうのが楽しみでありました。 ...続きを見る |
2005/09/11 22:11 |
小田八幡宮 −青森県・八戸市−
義経北行伝説はいよいよ青森に突入。 八戸市内に、義経史跡はいくつかあるが、中でも色濃い箇所のひとつに「小田八幡宮・こだはちまんぐう」がある。「小田」というのは、小さな田甫を作って稲作を義経が伝えたという云われによるものである。 ここには、義経が奉納した毘沙門天像や主従が写経したという大般若経300巻があるという。(もともとは600巻あったそうだ)そして、義経弁慶像もあるハズだったのだが、八戸市博物館の展示に出品中ということで拝めなかったのである。 で、ここでは、そのお経の1枚を見せていた... ...続きを見る |
2005/09/11 21:56 |
久慈の海岸
義経北行伝説はいよいよ岩手を出て青森へ向かうわけであります。 諏訪神社の社殿の真正面から太平洋の水平線が見えるのですが、他でもなく諏訪神社の森のすぐ前は久慈の海岸となるわけです。(写真参照) 伝説では、義経一行は、ここから船で八戸へ向かったとも、また、陸路で八戸入りしたとも伝えられているわけでございます。 ...続きを見る |
2005/09/09 23:23 |
諏訪神社 −岩手県・久慈市−
伝説義経北行コース 諏訪神社 平泉を脱した義経主従の追補を命じられたのが畠山重忠であったが、落ちゆく義経に同情した同人はわざと矢をはずし義経を助けたと伝えられている。 その時、松の木にあたった矢を神体として祠を建てたのがこの諏訪神社のはじまりであるという。 久慈市 「諏訪神社 義経北行ルート説明板」 より ...続きを見る |
2005/09/08 23:52 |
鵜鳥神社 −岩手県・普代村−
伝説義経北行コース 鵜鳥神社 平泉を脱出した義経主従は、その途中、この地で七日七夜にわたって海上安全、武運長久、所願成就を祈り、藤九郎盛長に命じ社殿を建立し、祭典を執行するよう命じたというと伝えられている。 義経はこの地で金色の鵜鳥が子を抱いているのを見たとも伝えられているという。 岩手県観光連盟 「鵜鳥神社 義経北行ルート 説明板」 より ...続きを見る |
2005/09/07 21:18 |
畠山神社 −岩手県・田野畑村−
伝説義経北行コース 畠山神社 悲劇の名将と世にうたわれた源九郎判官義経は、兄の頼朝に追われ、文治5年(1189)4月、平泉の高館において31歳を一期として自刃したが、短く華麗だったその生涯を想い後世の人々は、義経はその一年前にひそかに平泉を脱出し、北をめざして旅に出たという伝説を作りあげたのである。 世にいう「判官びいき」であろう。 その伝説の一つに平泉を脱出した義経主従の追補を命じられた畠山重忠がこの地まで来たとき、その乗馬が斃れたため、この地に埋め祠を建て鐙を供えたのがこの神社のは... ...続きを見る |
2005/09/06 21:57 |
龍泉洞の水 『義経』 −岩手県・岩泉町−
さて、今度は義経北行伝説ツアーだ。 股旅支度も余分な雨の心配をしたのだが、結局心配するほどの雨にあたることはなかったのである。これも義経公のおかげ? さて、盛岡を出発すると一路岩泉街道を沿岸に向けてバスは走る。 途中立ち寄ったのが岩泉の産直。 入り口両側に山と積まれたダンボールは「龍泉洞の水」であったが、なんと『義経』バージョンもあったのだ。 ・・・水のネーミングが「義経」とはいったい・・・ 岩泉町内にある義経北行伝説ポイントに「加茂神社」というところがある。 「このお社は、義経... ...続きを見る |
2005/09/06 21:30 |
義経北行伝説の旅
伊藤孝博氏著の「義経北光伝説の旅」という本が無明舎のんだんだブックスシリーズとして出版されている。 これでは、平泉から北海道まで網羅されているが、半次郎は、本日、岩手県北沿岸から青森のルートのポイントを追いかけることになります。 天気がどうも雨模様なので、撮影データがどの程度になるか・・・ とにかく、その土地土地の空気に触れてくることといたしやしょう。 ...続きを見る |
2005/09/03 05:45 |
義経北行伝説
源義経は平泉で自害せず、さらに北に落ち延びたという伝説があるが、生涯の90%が伝説の人なので、信じるか信じないかは各々である。 さて、半次郎は6月には京都から神戸、高松、広島と源平歴史浪漫の旅をしたのであったが、この秋には義経の「北行伝説」の旅をすることにした。 岩手県は宮古市より北、田野畑村・普代村・久慈市とさかのぼり八戸から一番向こうは三厩こと竜飛岬までのツアーである。 「お天気がいいといいな〜」と毎日思っている日々。 こちらも予定通りツアーから帰ってきましたら、レポートしたいと思... ...続きを見る |
2005/08/28 19:17 |
「富田の清水」について
青森県弘前市「富田の清水(しっこ)」 ...続きを見る |
2005/08/24 20:19 |
弘前昇天教会聖堂
日本聖公会(英国国教会系)東北教区 弘前昇天教会聖堂 この地に宣教が開始されたのは、明治29年(1896)で、現聖堂の建築は米人宣教師シャーリ・H・ニコルス司祭(後に京都教区主教)の下に、大正10年(1921)に行われた。設計者は、いま愛知県の明治村に遺る聖ヨハネ教会と同じく、米国人ジェームズ・M・ガーディナー(1857−1925)で、請負者は大工、林緑である。レンガ造りの平家建で、全体がゴシック様式にまとめられており、イギリス積み(イングリッシュ・ボンド)のレンガ、開口部廻りと控壁上の水... ...続きを見る |
2005/08/20 21:09 |
比内地鶏
弘前の往復路、途中のサービスエリアではもちろんご当地ものの土産物がたくさんある。 「とうふ」ものもがんばっているな〜と思いつつ、定番は「桧山納豆」なのであるが、「比内地鶏」に目がいく。 「比内地鶏カレー。」「比内地鶏モツカレー。」「比内地鶏ハヤシライス。」の3品。 レトルトながらにも如何なものでしょ? ...続きを見る |
2005/08/17 17:13 |
竹羊羹 −菓子処 寿々炉−
いきなり帰省帰り混雑の中、青森津軽は弘前に行く。 それは菓子処「寿々炉・すずろ」さんの「竹羊羹」を手に入れる目的のためであった。 東北道にのっていざ北へ。 おおおおお〜っ。なんとすごい渋滞。4キロの表示。 それは安比高原で開催されるロックコンサートに向かう車列であった。 それでも、何の混雑もなくどんどん北へ。 雲に覆われて裾だけの津軽富士を見ながら弘前市内に入る。 「信号が長い」「交差点の道路の本数が多い」「交差点はどこで停まっていいかわからない」など、城下町としては激しい迷路に... ...続きを見る |
2005/08/17 16:42 |
屋島のマンホールは那須与一
屋島、正確にいえば香川県木田郡牟礼町のマンホールのデザインはなんと「那須与一の扇の的」である。 ...続きを見る |
2005/07/22 22:14 |
銀座の柳 −京都のシダレヤナギ−
この柳は、東京銀座から里帰りしたシダレヤナギです。「昔恋しい銀座のヤナギ」と唄われる「東京行進曲」に出てくる東京銀座中央通のヤナギは、道路整備のためその姿を消しました。 しかし、昔を懐かしんだ地元有志の方々が、その頃の風情をもう一度よみがえらせようと、残されたヤナギから二世を増やし、ヤナギ並木を復活させました。 「銀座」という名称は、京都の伏見が発祥の地と言われています。また、この「銀座のヤナギ」の親は、(京都の頂法寺)六角柳とも言われており、京都とは縁(えにし)の深いものです。 「銀座... ...続きを見る |
2005/07/21 21:55 |
遮那王が背くらべ石を山に見て・・・
遮那王と名のって十年あまり鞍馬山で修行をしていた牛若丸が山をあとに奥州平泉の藤原秀衡の許に下るとき、なごりを惜しんで背を比べた石といわれる。波乱に富んだ義経公の生涯は、この石に始まるといえよう。 遮那王が背くらべ石を山に見て わがこころなほ明日を待つかな 与謝野寛 (鞍馬山・義経公背比べ石説明板より) ...続きを見る |
2005/07/18 07:11 |
神姫バス
神姫バスと書いて「しんきバス」と読む。 大阪伊丹空港のバスターミナルを歩いていると、バス停の文字に目を奪われた。 「姫神バスぅ〜」いやいや「神姫バスっ」。 青い色が印象的なバスの車体。 姫神というなれば岩手・盛岡でいえば「姫神山・ひめかみさん」というピラミダルで女性的な山が石川啄木生誕地の玉山村(平成18年1月に盛岡市と合併)にある。 岩手山が男山とすれば姫神山は女山として対照的な景観を盛岡の街に見せているのである。 そして、「神々の詩」のシンセサイザーを奏でる「姫神」はこの姫神山... ...続きを見る |
2005/07/18 06:43 |
京都・六角堂
寺号を紫雲山頂法寺と号する寺で、本堂が六角宝形造であることから一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。 開基は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。早くから人々の崇敬を受け、弘仁13年(822)には嵯峨天皇の勅願所となり、また長徳2年(996)には花山法皇の御幸があり、西国三十三ヶ所観音霊場(現18番の札所)となったと伝える。建仁元年(1201)、親鸞上人が当寺に百ヶ日間参籠して霊... ...続きを見る |
2005/07/16 22:19 |
清水順正
清水寺の参道の横丁を入ると「清水順正」という豆腐のお食事処がある。 その建物を見てオドロキなのであるが、そもそもは清水焼の窯元さんの屋敷だったとのこと。とてもステキな洋館なので豆腐のお食事に合わないような気がするも、なんのなんの。 いろいろな種類のお豆腐料理で満足すること間違いなしです。 ...続きを見る |
2005/07/15 22:21 |
アテルイとモレの供養塔
清水寺の舞台の下にアテルイとモレの供養塔がある。 たしか記憶によれば胆沢城築城1200年の折、田村麻呂に降伏した東北(岩手県・胆沢地区)の「蝦夷・エミシ」の首長が「アテルイ」。とその家来といわれる「モレ」。二人は都に連れられ、田村麻呂は斬首しないことを約束するが、かなわず殺されてしまう。 このような歴史は東北・岩手でしか囁かれてこなかったかもしれないのだが、それを期として供養塔がここに建てられたものである。 ...続きを見る |
2005/07/15 22:14 |
清水の舞台
「清水の舞台から飛び降りる」という言葉はよく言われるが、その舞台を支えているのは釘一本使われていないこの木組みの柱・・・。紅葉の緑が映えて美しく見えます。 平泉にもこの舞台を模して造られたという「達谷窟毘沙門堂・たっこくのいわやびしゃもんどう」がある。ここの創建も坂上田村麻呂。 ...続きを見る |
2005/07/15 22:05 |
音羽の滝
清水寺の山号は「音羽山」。 その音羽山から湧いた清水が奥の院の舞台崖下、本堂東側の石段を下りたところに、三本の筧に分けられて、流れ落ちている。これが「音羽の滝」で、清水寺の名の由来。 この音羽の滝の水は、別に「金色水」「延命水」と呼ばれ、心身を清める霊水、お茶の水として大変珍重されてきたとのこと。 私は、今回、清水寺参拝4回目にして、初めてこの滝の水を口にしましたが残念ながら「ぬるい」。 冷たければ「無味無臭」で大変美味しかったのだろうと思います。 ...続きを見る |
2005/07/15 21:57 |
宇治橋の「三の間」
宇治橋に「三の間」というところがある。 「三の間」は宇治橋特有のもので、その名前の由来は西詰から三つ目の柱間に設けられていることによる。三の間の最古の記録は、永禄8年(1565年)に松永秀久が千利休らを招いた茶会で、ここから汲み上げた水を茶の湯にしたというもの。豊臣秀吉が茶会の際には、この三の間から水を汲ませたという話は有名らしい。現在のような張り出しが設けられたのは江戸時代に入ってからと考えられている。 写真は三の間から見た宇治川の中の島。 現在も「鵜飼い漁」などが行われますが、その... ...続きを見る |
2005/07/14 21:57 |
鳳凰の尾翼
平等院鳳凰堂とはよくいったもの。 確かにまさしく鳳凰の姿・・・とおもいけや、今まで気にすることの無かった尾翼部分。 おお!尾翼の回廊があるではないか。 (写真は右側横から撮影) 平泉にはこの鳳凰堂を模したという「無量光院」の史跡があるが、そのスケールはこの鳳凰堂よりも大きかったという。しかしながらその尾翼まであっただろうか。「ん〜」 ...続きを見る |
2005/07/14 21:49 |
宇治川中の島の「十三重塔」
宇治川にある中の島は「橘島」と「塔島」の二。その塔島のシンボルが石造りの十三重塔。この石塔は重要文化財に指定されており、大きさは国内最大。度重なる洪水などで倒壊を繰り返すたびに再建。よく、欠けたり割れたりせずにご無事で・・・。 ...続きを見る |
2005/07/14 21:41 |
広島の路電
広島市内も路電が走っていました。 路電の無いところに住んでいる私にとっては魅力的・・・ ...続きを見る |
2005/07/13 21:44 |
原爆ドームも世界文化遺産
宮島とお別れして本土に到着。 広島市内に入ると緑豊かな平和公園の中に、これまた世界文化遺産に登録されている原爆ドームを見ることができました。 ...続きを見る |
2005/07/13 21:38 |
日本三景・厳島神社は世界文化遺産
宮島の厳島神社は平成8年(1996)にユネスコの世界文化遺産に登録されました。 桟橋からすぐの広場には鹿がたくさんいましたが、その傍らに 「日本三景」の碑ともうひとつ「世界文化遺産」の碑(写真)がありました。 私の住む岩手県では、平泉の文化遺産が世界文化遺産の暫定登録されて、本登録に向けて準備を進めています。 平泉にも、この形の碑が建つのだろうか・・・。 ...続きを見る |
2005/07/13 21:35 |
台風16号の被害
厳島神社は昨年の台風16号の被害があって現在修復中。 正面拝殿の屋根も波トタンで応急措置をしている具合でした。 檜皮葺の屋根であるため、その檜の皮を調達するのに大変とのこと。 写真は、正式な昇殿口でありますが、その屋根の修復がやっと終わろうかというところ。 向こうに見える五重塔もすっぽり足場が組まれて覆われています。 台風の時は、拝殿の赤い柱の真ん中まで水がきたとのこと。 ...続きを見る |
2005/07/13 21:31 |
夜の大鳥居
午後10時までだったでしょうか。 厳島神社の大鳥居はライトアップされています。 その姿が海の水面に映ってこれまたなんともキレイだこと。 ・・・そうそう、さきほどは、陸づたいに歩いて鳥居をくぐることができたのですが、 あっという間に潮が満ちてきました。 こんな景色を見ながら床についた宮島の夜でした。 ...続きを見る |
2005/07/12 21:04 |
厳島神社の大鳥居
宮島に到着したのは夕方。 陽がどんどん西に傾く時間帯。 なんと潮がひいていて、陸づたいで大鳥居をくぐることができました。 丹色がなんとも鮮やかです。 鳥居が海中となる部分には小さな「フジツボ」がびっしり。 アサリなどの大きな貝から小さな巻き貝もたくさんありました。 ...続きを見る |
2005/07/12 21:00 |
宮島の鹿
広島、宮島といえば厳島・・・ 「もみじまんじゅう」はいわずとよく知られたもので。 「もみじ」・・・紅葉は何処にあるんだろうと思いましたが、山のほうにあるようです。 紅葉より先に目に入ったのは「鹿」でした。 奈良公園の鹿より小柄な鹿さんたちです。 地面にはしっかり「黒豆」がたくさんありました。 心しなければならないのは、宮島で「紙」を手に持って歩いてはいけません。 すぐさま鹿さんがよってきてパクリと噛み付いたら放しません。 すべて食べてしまいますのでご注意を・・・。 ...続きを見る |
2005/07/12 20:54 |
瀬戸内海
いよいよ松山港を出港する高速船に乗りまして、海路にて広島の宇品港を目指します。 瀬戸内海を横断するわけですが、他でもなく義経が平家を追った海でもあります。 一端海にでると右も左もどっちに進んでいるのかすらわからないこの海をよく行ったものだと考えさせられました。 西の方向は山口県と思いながら、早いはやい一時間半ほどで到着してしまいます。 途中、平清盛の史跡・音戸の瀬戸を通過しました。 ...続きを見る |
2005/07/11 21:36 |
愛媛・松山の路電
私が今まで路電を見たことは、そう無く、昨年11月に北海道・函館で見た路電の記憶があるだけ。 「新撰組」のラッピング路電でした。 今回の旅行では、愛媛県・松山市にて路電を見ることになりました。 松山城は修復中でその姿をよく見ることはできませんでしたが、路電はよく見ました。 さらに、広島に行っても路電はありました。 けっこうあちこちにあるもんですねぇ。 愛媛に行きながら、ポンジュースもみかんも食べることはなかった。ざんねん。 ...続きを見る |
2005/07/11 21:16 |
源平屋島古戦場
屋島の古戦場の史跡は立石漁港に流れる相引川周辺に点在している。 いずれにしても、その当時はここは海であった。 むこうに見える山は五剣山。 一番有名なのは那須与一が平家の掲げる扇の的を射抜く場面である。 ...続きを見る |
2005/07/10 21:20 |
屋島寺(やしまじ)
天平勝宝6年(754)に鑑真が屋島北嶺に創建。その後弘法大師が屋島南嶺に伽藍を造営した。四国霊場88箇所の第84番札所。本堂は重要文化財。弘法大師が道に迷った時案内してくれたのが四国タヌキの総大将「太三郎狸」であったという。源氏の将兵が刀を洗った血の池こと瑠璃宝池などがある。さらに展望台では高松港や瀬戸内海が一望でき、源氏が戦勝により笠を投げたことにちなむ「かわらけ投げ」がある。 以前は、ここを訪れる修学旅行生も多かったものの、少なくなったという。土産物屋もシャッターを閉めているところが多い... ...続きを見る |
2005/07/10 21:11 |
屋島から日が昇る
四国徳島県の高松では、「全日空ホテルクレメント高松」に宿泊。 ここの部屋の外には絶景が広がる。 向こうに「屋島」。眼下に「高松城」。そして夜間はフェリーが行き来していた。 朝を迎えると屋島から日が昇ったのでありました。 ...続きを見る |
2005/07/09 19:07 |
洲崎寺(すざきじ)
屋島が間近にせまり、義経弓流し跡が近いところに洲崎寺はある。 源平合戦の際、源氏軍が負傷した兵を運び込んだ寺と伝えられていて、義経を庇って矢面になって死んだ佐藤継信は、この寺の扉にのせられて運ばれたという。 ...続きを見る |
2005/07/08 22:19 |
屋島
屋島とは、その形が屋根のような島で「屋島」だという。 まさしく茅葺き屋根を連想させる形をしている。 徳島県から香川県に入って、どんどん屋島が近づいてきた。 バスは草がたくさん茂っている野原の横で停まった。 そこには説明板もある・・・。 「義経弓流し跡」 もともとは、このあたりは海岸。 1185年の源平合戦で、義経は脇にはさめていた弓を落としてしまう。そこに平家方の越中次郎兵衛盛嗣が熊手をかけて危うく落とされそうになったところを義経は太刀で熊手をあしらい、左手の鞭で弓を拾い上げたと... ...続きを見る |
2005/07/08 22:12 |
たけやん
淡路島のパーキングエリアで明石海峡大橋を眺めつつ、 自動販売機を発見してあわてて買ったのは、写真の「たけやん」。 青竹付きの「ちくわ」。そのまんま「竹輪」である。 「おいひい」であり「まいう〜」であり「んまい」である。 ・・・ここでビールがあったら最高だった。 ...続きを見る |
2005/07/08 21:59 |
明石海峡大橋
そんなわけで、神戸から明石海峡大橋を渡って淡路島に上陸。 これが世界一の吊り橋・・・。 橋の上からは、丁度通過時間が手頃で「うずしお」が見えたのでありました。 ...続きを見る |
2005/07/08 21:55 |
一ノ谷・鵯越の逆落とし
ここが一ノ谷といわれ、見上げる急峻な山。 どれほど急な崖を降りたのか。 そう思いながら麓をバスは走り抜けたのだが、 一ノ谷のイメージがいまひとつ・・・。 明石海峡大橋を渡った淡路島の端っこから神戸方向をみると一ノ谷の山が見えた。 この山を上から馬に乗ったまま下ったのが奇襲として有名な「鵯越の逆落とし」だという。 「一ノ谷」と「鵯越」は地名的には位置がずれていて、本当はどっちだといった論争もあるそうであるが、現場を見れば一目瞭然のような気がするのですが・・・。 でも本当にここを下っ... ...続きを見る |
2005/07/08 21:51 |
これが「青葉の笛」
須磨寺に伝わる「青葉の笛」とは、これである。 笛は吹いて使用しているうちはいいが、吹かれることも無くなって幾年月。 この笛はきっと手にとったら砂の如く崩れ去ってしまうのではないだろうか。 熊谷直実に呼び止められた敦盛、時に17歳。笛の名手で美少年だったという。 須磨寺境内には平敦盛の首塚(五輪石塔)がある。かつてはここに笛を奉納して子供の健康を祈る風習があった。 ...続きを見る |
2005/07/06 22:02 |
義経腰掛松(須磨寺)
兵庫県神戸市須磨区にその名も有名な「須磨寺」がある。 ここは、松尾芭蕉も訪れていて、 「須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇(こしたやみ)」という歌をよんでいる。 ここでいう「笛」というのはかの有名な平敦盛の「青葉の笛」のことである。 ここに、熊谷直実が討ち取った敦盛の首実検をする際に義経が腰掛けたという松の大きな幹が置かれている。すぐ隣には首洗いの池がある。 この「義経腰掛松」は、まるで灰を掛けたように埃が被っているようなグレー色で、松の木らしさが殆ど見られない。 ・・・阪神淡路大震災から... ...続きを見る |
2005/07/06 21:48 |
教王護国寺(東寺)の五重塔
鞍馬山を下りて京都の街に戻った。 京都といえば、五重塔。 はじめて京都に行ったときに最初に参拝したのは、この東寺こと教王護国寺であった。日本最大の五重塔といわれるだけあって、その巨大さには圧倒される。さらに、金堂内の仏像が何体も並ぶ曼荼羅空間では時が止まったような錯覚を感じたものだ。 今回は、門前を通り過ぎ去るだけであったが、つくづくこの街は京都と印象づけられたのは、やっぱりこの塔の存在である。 清水寺は参詣したものの、子安の塔にも行っていない。まだまだ京都の街で見ていない箇... ...続きを見る |
2005/07/06 21:11 |
鞍馬寺のお土産
鞍馬寺の本殿金堂まで登らなければ手に入らないわけなのですが、ここのお土産でいくつかあるオススメのひとつがコレ。 もっとも、団扇で仰ぎたい気持ちになったのがホンネでありますが、丁度良く販売されていたのがこの「降魔扇」であります。 柴田晩葉さんの描いた図柄は、護法魔王尊と脇侍の遮那王(牛若丸)。 禍いを払い清めよこしまを正す祈りがこめられているとのこと。浄風と共に、清めの活力をお受け下さいと記されている。 ...続きを見る |
2005/07/05 21:55 |
義経堂
鞍馬山参拝もなんとか目的の「義経堂」までは行かなければ今回の目的は達成しない。 途中の「僧正ガ谷」とよばれるあたりの「木の根道」は800年もの昔もこのような具合だったのだろうかと疑わずにはいられないものの、確かにこのような山道を夜な夜な往復すれば八艘飛びのような身のこなしは可能になるかもしれない。大変だけれどもこの「木の根道」を通って大杉権現を参拝することは鞍馬山に来た価値十分である。 「不動堂」というお堂が現れると、その前の大きな杉木立の合間に「義経堂」はあった。 7歳のときに鞍馬に入... ...続きを見る |
2005/07/05 21:41 |
源義経公背比石
鞍馬寺の本殿金堂から山道を進むと霊宝館がある。 しかしながら月曜日で休みだったので、毘沙門天さんにお逢いすることはできなかった。 このすぐそばには与謝野晶子の移築保存されている書斎の「冬柏亭」がある。 さらに進むと「牛若丸息つぎの水」がありましたが、しずくがポタリポタリという具合。 それでも3滴ほどいただきました。 さらに進むと「源義経公背比石」が現れた。 ホントに120センチ程度の高さの石。将棋の駒を思わせるような形。 ここから鬱蒼としている中は「木の根道」で大杉権現に至る。こ... ...続きを見る |
2005/07/05 21:21 |
尊天降臨
義経供養塔からさらに山道を進むと中門がある。これを抜けて九十九折れの参道を進むと本殿金堂のある広場にでる。 この広場の南端に平安京を守るために鞍馬寺の本尊が降臨したという場所があり、「翔雲台」と呼ばれている。ここには本殿金堂裏の経塚の蓋石が置かれている。 鞍馬山は千手観世音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊の三身を一体とし「尊天」として信仰している。 翔雲台からは、比叡山の尾根を眺めることができ、晴れた日には遮那王も比叡の峰を眺めていたことだろう。 本殿金堂内で御朱印をいただくことができ、天... ...続きを見る |
2005/07/05 21:06 |
義経公供養塔
鞍馬山の由岐神社から少し右手に登ったところに「源義経公供養塔」が建つ。 ここは東光坊跡であり、牛若丸が遮那王となって7歳から約10年間住んだ場所と伝えられている。 鞍馬山の「木の根道」といった修行場は、この先1時間も行ったところになるのだが、灯り一つ無い山道を行き来した遮那王の思いはいかがなものであったのだろうか。 ここから、京の町に行き来するにしても大変なもの。 「ホントに牛若はここに住んで行ったり来たりしていたの?」と驚かずにはいられない。 やはり天狗の術を身につけたか・・・とも... ...続きを見る |
2005/07/04 20:55 |
鞍馬の火祭りは由岐神社の祭り
鞍馬寺の山門をくぐり、ケーブルカーに乗らずに左の山道をいくと、突き当たりに由岐神社がある。 天慶3年(940)、鞍馬寺が御所から鎮守社として勧進した神社で、矢を入れて背に負う「靫(ゆぎ)」を祀って世の平穏を祈るところという。ここが鞍馬の火祭りが催される神社で、実際に用いる大きさの松明が飾られていた。ここでいただく御朱印にも「鞍馬の火祭り」と入る。 ...続きを見る |
2005/07/04 20:48 |
京都市左京区 鞍馬寺
源平歴史浪漫紀行もいよいよ今回の旅行目的のトップポイントのひとつ鞍馬山に入る。 「鞍馬山入山参拝の心得」というのがある。 鞍馬山は信仰の道場です。浄域を守るためにご協力願います。 1 大きな音を出したり騒いだりせず、静けさを大切に。 2 あきかん等のゴミ(役目を終えたもの)は、お持ち帰りを。 3 建物や設備等をきずつけたり、こわしたりしない。 鞍馬山は大自然の宝庫です。この自然を大切にしましょう。 1 火の用心に心がけて下さい。たき火はしない。タバコのすいがらも捨てない。山火事に... ...続きを見る |
2005/07/03 16:50 |
城郭めぐり
6月上旬に行った「源平歴史浪漫紀行」ツアーでは、外観だけでも城郭を見る旅でもありました。写真は京都・二条城です。内部はまだ見たことが無いので、今度京都に行ったらゆっくり見たい箇所のひとつです。 この「二条城」が城郭巡りのはじまりでした。 その後、高松城・松山城・広島城・福山城・姫路城と見ることになりました。 「高松城」は、ホテルから全容を見下ろす具合。海の水が濠になるめずらしいタイプ。 松山といえば、道後温泉・坊ちゃんで有名ですが、現在、「松山城」は修復中。 ずいぶん高いところに建っ... ...続きを見る |
2005/07/02 04:36 |
弁慶石
京都市三条麩屋町に「弁慶石」という石がある。 弁慶が幼い頃、この石を五条や比叡山から投げて遊んでいたという。 弁慶は平泉で立ち往生するが、その後この石は平泉まで運ばれた。 ある時「三条京極に往かん」と鳴動して平泉では熱病が蔓延し、弁慶のたたりだと恐れられて京都に戻されたものだという伝説がある。 ...続きを見る |
2005/06/29 21:17 |
五条大橋は松原橋
義経時代の五条通は現在の松原通。 橋の上の出来事が本当とすれば、現在の松原橋の上での出来事になる。 秀吉時代に現在の五条通が出来て、五条大橋が架けられたそうです。 ...続きを見る |
2005/06/29 21:07 |
弁慶と義経は何処で出逢う
義経記によれば、京都の五条天神から堀川通りを南に下ったあたりで義経と弁慶が出逢ったことになっている。 ここでは義経は橋の欄干に飛び移るのではなく、築地塀に飛び上がっている。 翌日、二人は清水寺の観音堂で対決するが、結局、弁慶は義経に降参して主従の約束をすることになる。この話が事実だとすれば治承3年(1179)6月のことで、時に義経21歳となる。 ♪京の五条の橋の上〜の謡曲では「牛若」と出てくるので、これは遮那王になる以前のこととうかがえる。遮那王時代に出逢うということも魅力的ではあるが、... ...続きを見る |
2005/06/29 20:57 |
宇治川の合戦のとき、平等院鳳凰堂はそこにあった。
永承7年(1052)は末法初年にあたるといわれ、 末法思想が貴族や僧侶など一般各階層に流行して 極楽往生を願う浄土信仰が広まる。 その翌年の天喜元年(1053)、藤原頼通によって平等院鳳凰堂が落成した。 宇治川の合戦は寿永3年(1184)のことであるから、 合戦の時点で、平等院鳳凰堂は存在していたことになる。 戦火に遭遇することもなく、実に千年近い時間、この鳳凰堂は建っている。 現在平成大修理事業のため、国宝本尊阿弥陀如来坐像と国宝天蓋が修理中。 今のところ鳳凰堂内部拝観はされ... ...続きを見る |
2005/06/27 22:33 |
旅行
今月のはじめにひさしぶりの旅行をしました。 といっても、昨年11月の函館旅行以来ですか。 飛行機で花巻から大阪・伊丹まで。 途中、セントレアの上空を通過しました。 京都・高松・宮島と泊まっての3泊4日でしたが、 一滴の雨にもあたらず、まぁ〜天気の良いこと。 目的は義経の史跡めぐりだったんですが、 やはり一番は、鞍馬寺に行ってきたことが何よりでした。 ...続きを見る |
2005/06/25 15:51 |