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日 時 |
櫻川観世音 −盛岡三十三観音 第21番 龍谷寺−
石川啄木の両親が出逢ったとされる寺・盛岡市名須川町の虎嶽山龍谷寺(曹洞宗)に「櫻川観世音」と呼ばれる観音様が一体ある。
別名「片葉観音」ともいわれる片腕のない観音様です。
その昔、北へ向かう一本筋の道が通っていて、龍谷寺付近に鬱蒼とした木立があり、櫻川が流れていました。あるとき、観音様を携えた旅僧がここで野宿すると、夜に盗賊が襲い、太刀を振り下ろした瞬間閃光が走ると太刀は折れてしまい、賊は逃走しました。朝、僧が観音様を見ると片腕が飛んで川岸に漂い、腕に触れた葦はみな片葉になっていました。
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2005/07/31 16:04 |
ニコライは南部訛であった
北海道・函館のハリストス正教会の隣に南部陣屋があった。当初、宣教師のニコライは日本語を勉強するために、古本屋を一件買い占めたりしている。生きた日本語というのは、この南部陣屋に住む老婆から教わったものとされ、東京神田のニコライ堂に移ってからも、ニコライは南部訛があったと伝えられている。
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2005/07/31 15:14 |
盛岡・大通り街路樹の名残 −いちょう−
現在、盛岡市内大通りの中央に1本のいちょうの木が残されているが、これは大通りが開発された当初に植えられた並木の名残であって、それは、以下の新聞記事から読み取ることができる。
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2005/07/30 21:39 |
盛岡伝説案内 其の八 盛岡の「お菊の皿」
怪談話として有名な『番町皿屋敷』は岡本綺堂が大正五年(一九一六)に作った話。参考にしたという享保十七年(一七三二)版の『江戸砂子』には牛込御門内の屋敷に起きた事件が記されているという。
江戸幕府御徒目付の青山主膳の屋敷に仕えていた女中が、あやまって十枚組の一枚の皿を破損し、その罪により殺された。娘の怨念は毎夜、ひとつから九つまで数えては泣き続けた。以後、人々はこの屋敷を「皿屋敷」と呼ぶようになり、これがいつしか「番町皿屋敷」もしくは「播州皿屋敷」になったのだという。
現在では日本全国...
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2005/07/29 23:27 |
盛岡の「銀座の柳」と「銀座の煉瓦」
東京・銀座の柳と京都の関係は既に紹介済みですが、半次郎の住む盛岡にも銀座の柳が植えられています。
一本は写真の「銀座の柳二世」。もりおか啄木賢治青春館(旧第九十銀行本店本館・国重文)の前に植えられています。
もう一本は、石川啄木新婚の家に「銀座の柳三世」があります。
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2005/07/27 20:31 |
義経 音楽絵巻
大河ドラマ 義経 のオリジナルサウンドトラックとして音楽絵巻というCDが発売されている。
日本史上、疾風の如く現れそして走り去った源九郎義経。彼の存在を色鮮やかな音楽絵巻として綴ろうと手がけたのが、このCDアルバムですとされている。
ジャケットにはドラマのオープニングにも登場する白馬が描かれているが、平泉の毛越寺・浄土庭園にはこの白馬がいると信じて訪れる観光客も少なくないというが、実際には白馬はおりません。
平安時代が広がるドラマの音そのままと感じた半次郎です。
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2005/07/26 22:23 |
烏帽子岩(兜岩)のいわれ
盛岡城築城時、この地を掘り下げたときに、大きさ二丈ばかり突出した大岩が出てきました。
この場所が、城内の祖神さまの神域にあったため、宝大石とされ、以後吉兆のシンボルとして広く信仰され災害や疫病があった時など、この岩の前で、平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。
「桜山神社社務所説明板」より
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2005/07/26 22:14 |
義経展はじまる −岩手県立博物館−
7月23日『義経展』の岩手展が岩手県立博物館ではじまった。
前日が報道関係者公開日ということもあり、開館早々での混雑などは全くなかった。
岩手県立博物館は、開館当所に比べ入館者数の減少などから、常設展示内容の魅力もさることながら、最近はその立地条件も問われつつある。
過去の企画展の中で、もっとも入館者数を数えたのが「中尊寺」の文化財を並べた時で、これは、大河ドラマ「炎立つ」の頃であったかと思う。
その点、魅力がいまひとつ感じられないのが「義経展」であろうか。
義経自身の好き嫌いを別と...
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2005/07/24 18:56 |
一里塚に松の木復活 −上田一里塚−
本日、岩手県立博物館で開催されている「義経展」に向かう途中、アネックスカワトク前を通過。
昨年の台風16号で松の木が倒木して撤去されたままになっていた「上田一里塚」に、松の木が植栽されていました。
大きな中央の木の回りに数本の松の木。さらにイベント植栽用の松の木もあって、合計何本植えられたのかわかりませんが、いずれにしても「マツノマダラカミキリ」の「マツクイムシ」などの影響を受けずに大きく育って欲しいと願っています。
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2005/07/23 23:59 |
源義経 夢の跡 探求地図
7月23日から9月4日まで
岩手県立博物館で「義経展」が開催されます。
こちらの会場でも販売いただいております。
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2005/07/22 23:40 |
栗山大膳と盛岡
盛岡の愛宕山(あたごやま)には、福岡県・黒田藩の黒田騒動で有名な栗山大膳の墓がある。平成14年は栗山大膳没後350年だったそうだ。
さて、この栗山大膳が南部藩にお抱えの身でありながら、何処に住まいしていたのかという話題なのである。
下小路という地区に一本の巨大な栗の木があり、その元に「栗山神社」が祀られていたのだが、最近この栗の木も切り倒されてしまった。実はこの地が栗山大膳の屋敷跡ではないかと思われてきたのだが、どうも文献を紐解くとそれは間違いであるのかもしれない。
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2005/07/22 23:31 |
屋島のマンホールは那須与一
屋島、正確にいえば香川県木田郡牟礼町のマンホールのデザインはなんと「那須与一の扇の的」である。
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2005/07/22 22:14 |
古代の石笛
故姫神・星吉昭氏が「北の風あおあおと」というエッセイ集の「中津川」という作品の中で以下のように書いてある。
中の橋と、ひとつ下流の毘沙門橋との間に、数個の巨石が深い流れに打たれている。もし誰かが中の橋を渡って、そこから川面を見たとすれば、その石の存在に気をとめるに違いない。この辺りの喧騒を吸いとるように静かなたたずまいを見せるこの石に、私はかねてから魅かれるものがあった。人伝えに、この石には既に名前が付いているらしいことを聞いていたから、いつかそれを聞きだそうと、ひそかに思っていた。
石は...
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2005/07/22 21:43 |
「甦る東京駅」について
「甦る東京駅」について
http://www.jreast.co.jp/toko/development.html
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2005/07/21 22:38 |
銀座の柳 −京都のシダレヤナギ−
この柳は、東京銀座から里帰りしたシダレヤナギです。「昔恋しい銀座のヤナギ」と唄われる「東京行進曲」に出てくる東京銀座中央通のヤナギは、道路整備のためその姿を消しました。
しかし、昔を懐かしんだ地元有志の方々が、その頃の風情をもう一度よみがえらせようと、残されたヤナギから二世を増やし、ヤナギ並木を復活させました。
「銀座」という名称は、京都の伏見が発祥の地と言われています。また、この「銀座のヤナギ」の親は、(京都の頂法寺)六角柳とも言われており、京都とは縁(えにし)の深いものです。
「銀座...
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2005/07/21 21:55 |
ごまスパ
材料
(人数分に応じて数量を加減してください)
舞茸
ニンニク 1かけ
とんがらし 好みに応じて輪切りを適量
黒ごま
オリーブオイル
塩・こしょう 少々
かつおだし 適量 (だしのもとにゆで汁でもOK)
大葉
きざみ海苔
スパゲティー 人数分(1人あたり100g)
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2005/07/20 20:53 |
馬頭観世音のお祭り
盛岡市のその名も旧町名「馬町・うままち」に峯壽院(ほうじゅいん)として馬頭観音を祀る寺がある。正しくは、盛岡三十三観世音の第一番札所で、亀慶山城南寺 峯壽院である。
この寺はもと天台宗寺門派で近江滋賀郡別所村園城寺末。本尊は馬頭観世音菩薩。脇侍は延命地蔵菩薩と波切不動尊である。当院開山法壽法印は、下総(千葉県)千葉常胤の裔で、文治年間(1184-1189)下野(栃木県)に移り美濃郡を姓とし、のちに奥州江刺に転じて新渡戸と改めた。後年、稗貫郡里川口(現花巻市)に移住。慶長3年(1598)、当時...
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2005/07/18 19:10 |
オラと背くらべだぞ!
義経背比べ石が話題である昨今(半次郎のブログだけ・・・)、なんと「背くらべしんちゃん」を発見しました。現場は盛岡市肴町(さかなちょう)の村源薬局(むらげんやっきょく)前。
テレビCMでもおなじみの「オロナイン液」の販促物なのであるが、そのセリフが「オラと背くらべだぞ!」になっている。
まるで義経背比べ石・・・と思い出さずにはいられなかった。
高さは1メートル程度・・・と思われますが。
しんちゃんブームはひそかに義経に接近??
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2005/07/18 18:41 |
遮那王が背くらべ石を山に見て・・・
遮那王と名のって十年あまり鞍馬山で修行をしていた牛若丸が山をあとに奥州平泉の藤原秀衡の許に下るとき、なごりを惜しんで背を比べた石といわれる。波乱に富んだ義経公の生涯は、この石に始まるといえよう。
遮那王が背くらべ石を山に見て
わがこころなほ明日を待つかな 与謝野寛
(鞍馬山・義経公背比べ石説明板より)
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2005/07/18 07:11 |
神姫バス
神姫バスと書いて「しんきバス」と読む。
大阪伊丹空港のバスターミナルを歩いていると、バス停の文字に目を奪われた。
「姫神バスぅ〜」いやいや「神姫バスっ」。
青い色が印象的なバスの車体。
姫神というなれば岩手・盛岡でいえば「姫神山・ひめかみさん」というピラミダルで女性的な山が石川啄木生誕地の玉山村(平成18年1月に盛岡市と合併)にある。
岩手山が男山とすれば姫神山は女山として対照的な景観を盛岡の街に見せているのである。
そして、「神々の詩」のシンセサイザーを奏でる「姫神」はこの姫神山...
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2005/07/18 06:43 |
街 もりおか
盛岡に創刊37年を数える「街 もりおか」というタウン誌がある。
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2005/07/17 16:17 |
甦る東京駅
東京駅は辰野金吾(たつのきんご)の設計によって大正3年(1914)に完成した。
盛岡には、同じく辰野設計のまさしく東京駅と同じデザインといえる旧盛岡銀行(現・岩手銀行中ノ橋支店/国指定重要文化財)があるが、こちらは明治44年(1911)に竣工している。
完成当時の東京駅は地下1階、地上3階、全長335メートルで当時は「アジア一」とも「世界一」ともいわれた建築であった。
交通博物館にある「中央停車場建物展覧図」には創建当時の東京駅の姿が描かれている。駅舎はすべて3階建てで、左右に大きなドー...
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2005/07/17 16:00 |
Mori-navi モリナビ できました
♪モリナビ モリナビ できましたっ!
思わず「いわてグラフ」できましたっ!のCMを思い出してしまう半次郎。
「モリナビ」は盛岡商工会議所が創立80周年記念・都南商工会議所との合併記念として「盛岡まるかじりマップvol.7」としてこのたび発行されました。
(半次郎は、「城下盛岡旧町名探求地図」のデータを提供したので、いち早く1冊いただきましたが、一般にはまだ出回っていないかも。7月20日発行になってマシタ。)
盛岡で食す。飲む、味わう…「もりおか」を楽しく満喫できるレジャー・カルチャー情...
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2005/07/17 10:05 |
京都・六角堂
寺号を紫雲山頂法寺と号する寺で、本堂が六角宝形造であることから一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。
開基は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。早くから人々の崇敬を受け、弘仁13年(822)には嵯峨天皇の勅願所となり、また長徳2年(996)には花山法皇の御幸があり、西国三十三ヶ所観音霊場(現18番の札所)となったと伝える。建仁元年(1201)、親鸞上人が当寺に百ヶ日間参籠して霊...
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2005/07/16 22:19 |
義経サミットin平泉
今年5月21日、平泉の観自在王院跡において「義経サミットin平泉」が開催されました。
基調講演にはNHKアナウンサーの松平定知さん。
さらに鎌倉市長と平泉町長の対談、全国の義経伝説史跡がある行政関連のみなさんの義経イベント・観光情報のご案内がありました。
この会場において配布されたパンフレット・チラシに「源義経 夢の跡 探求地図」を提供させていただきました。ありがとうございました。
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2005/07/16 21:50 |
盛岡天満宮の石馬(狛犬)
盛岡天満宮拝殿の前に一対の狛犬が座っている。これは市内上小路に住んでいた高畑源次郎氏が制作して明治38年(1905)に奉納したもので、当時は地面に直に据えられていた。石川啄木はこの愛嬌ものをひどく好んだといわれ、昭和8年7月23日、啄木の歌を銅板に鋳造して台座を設けてはめ込んだ。
夏木立中の社の石馬も 汗する日なり 君をゆめみむ 啄木
松の風夜昼ひびきぬ 人訪はぬ山の祠の 石馬の耳に 啄木
啄木の小説「葬列」にもこの石馬が登場している。
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2005/07/16 21:39 |
ガス燈の由来 −創始者は南部藩士−
わが国における都市ガス事業の始まりは、明治5年(1872)、横浜の外人居留地にガス燈をともしたのが始まりである。ガスの利用については、これより17年前、南部藩士の手により発明されている。当時の文献によれば、安政2年(1855)、南部藩医師・島立甫(しまりゅうほ・玄燈)が、江戸亀戸の自宅において、コールタール製造の副産物として発生する石炭ガスに点火し、照明として利用した。同じ頃、水戸藩に招かれ、那珂湊に反射炉を製造した南部藩士・大島高任(おおしまたかとう)が、コークス製造の副産物利用としてガス燈...
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2005/07/16 21:22 |
清水順正
清水寺の参道の横丁を入ると「清水順正」という豆腐のお食事処がある。
その建物を見てオドロキなのであるが、そもそもは清水焼の窯元さんの屋敷だったとのこと。とてもステキな洋館なので豆腐のお食事に合わないような気がするも、なんのなんの。
いろいろな種類のお豆腐料理で満足すること間違いなしです。
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2005/07/15 22:21 |
アテルイとモレの供養塔
清水寺の舞台の下にアテルイとモレの供養塔がある。
たしか記憶によれば胆沢城築城1200年の折、田村麻呂に降伏した東北(岩手県・胆沢地区)の「蝦夷・エミシ」の首長が「アテルイ」。とその家来といわれる「モレ」。二人は都に連れられ、田村麻呂は斬首しないことを約束するが、かなわず殺されてしまう。
このような歴史は東北・岩手でしか囁かれてこなかったかもしれないのだが、それを期として供養塔がここに建てられたものである。
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2005/07/15 22:14 |
清水の舞台
「清水の舞台から飛び降りる」という言葉はよく言われるが、その舞台を支えているのは釘一本使われていないこの木組みの柱・・・。紅葉の緑が映えて美しく見えます。
平泉にもこの舞台を模して造られたという「達谷窟毘沙門堂・たっこくのいわやびしゃもんどう」がある。ここの創建も坂上田村麻呂。
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2005/07/15 22:05 |
音羽の滝
清水寺の山号は「音羽山」。
その音羽山から湧いた清水が奥の院の舞台崖下、本堂東側の石段を下りたところに、三本の筧に分けられて、流れ落ちている。これが「音羽の滝」で、清水寺の名の由来。
この音羽の滝の水は、別に「金色水」「延命水」と呼ばれ、心身を清める霊水、お茶の水として大変珍重されてきたとのこと。
私は、今回、清水寺参拝4回目にして、初めてこの滝の水を口にしましたが残念ながら「ぬるい」。
冷たければ「無味無臭」で大変美味しかったのだろうと思います。
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2005/07/15 21:57 |
源義経 夢の跡 探求地図
岩手県盛岡市の市民団体「文化地層研究会」では、今年4月に「源義経 夢の跡 探求地図」を作成いたしました。
義経の生涯31年の生誕から最期まで、そして北行伝説まで網羅しています。
行動範囲の最北端平泉と最西端壇ノ浦の直線距離は約1000キロ。
31年間の行程は6000キロ。
当時の1里は600メートルなので、実に1万里もの距離を馬か徒歩か船という交通手段で移動した人物は、そう他には見あたりません。
この行動力とともに全国にちらばる史跡をピックアップしています。
監修は平泉郷土館館長の...
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2005/07/14 22:30 |
宇治橋の「三の間」
宇治橋に「三の間」というところがある。
「三の間」は宇治橋特有のもので、その名前の由来は西詰から三つ目の柱間に設けられていることによる。三の間の最古の記録は、永禄8年(1565年)に松永秀久が千利休らを招いた茶会で、ここから汲み上げた水を茶の湯にしたというもの。豊臣秀吉が茶会の際には、この三の間から水を汲ませたという話は有名らしい。現在のような張り出しが設けられたのは江戸時代に入ってからと考えられている。
写真は三の間から見た宇治川の中の島。
現在も「鵜飼い漁」などが行われますが、その...
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2005/07/14 21:57 |
鳳凰の尾翼
平等院鳳凰堂とはよくいったもの。
確かにまさしく鳳凰の姿・・・とおもいけや、今まで気にすることの無かった尾翼部分。
おお!尾翼の回廊があるではないか。
(写真は右側横から撮影)
平泉にはこの鳳凰堂を模したという「無量光院」の史跡があるが、そのスケールはこの鳳凰堂よりも大きかったという。しかしながらその尾翼まであっただろうか。「ん〜」
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2005/07/14 21:49 |
宇治川中の島の「十三重塔」
宇治川にある中の島は「橘島」と「塔島」の二。その塔島のシンボルが石造りの十三重塔。この石塔は重要文化財に指定されており、大きさは国内最大。度重なる洪水などで倒壊を繰り返すたびに再建。よく、欠けたり割れたりせずにご無事で・・・。
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2005/07/14 21:41 |
雨晴海岸・あまはらしかいがん
富山県高岡市にある「雨晴海岸・あまはらしかいがん」に「義経岩」がある。
にわか雨にあった義経一行が雨宿りしたという伝説がある。岩の上には義経を祀る祠が建てられてあるが、このところ成長する松の木の根などで岩が崩落する危険性が高まったため、石の間にモルタルを詰める作業がおこなわれている。大河ドラマが始まってからは観光客も増えていて、今後の対策について、国や県に働きかけていくとのこと。
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2005/07/14 21:29 |
広島の路電
広島市内も路電が走っていました。
路電の無いところに住んでいる私にとっては魅力的・・・
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2005/07/13 21:44 |
原爆ドームも世界文化遺産
宮島とお別れして本土に到着。
広島市内に入ると緑豊かな平和公園の中に、これまた世界文化遺産に登録されている原爆ドームを見ることができました。
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2005/07/13 21:38 |
日本三景・厳島神社は世界文化遺産
宮島の厳島神社は平成8年(1996)にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
桟橋からすぐの広場には鹿がたくさんいましたが、その傍らに
「日本三景」の碑ともうひとつ「世界文化遺産」の碑(写真)がありました。
私の住む岩手県では、平泉の文化遺産が世界文化遺産の暫定登録されて、本登録に向けて準備を進めています。
平泉にも、この形の碑が建つのだろうか・・・。
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2005/07/13 21:35 |
台風16号の被害
厳島神社は昨年の台風16号の被害があって現在修復中。
正面拝殿の屋根も波トタンで応急措置をしている具合でした。
檜皮葺の屋根であるため、その檜の皮を調達するのに大変とのこと。
写真は、正式な昇殿口でありますが、その屋根の修復がやっと終わろうかというところ。
向こうに見える五重塔もすっぽり足場が組まれて覆われています。
台風の時は、拝殿の赤い柱の真ん中まで水がきたとのこと。
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2005/07/13 21:31 |
夜の大鳥居
午後10時までだったでしょうか。
厳島神社の大鳥居はライトアップされています。
その姿が海の水面に映ってこれまたなんともキレイだこと。
・・・そうそう、さきほどは、陸づたいに歩いて鳥居をくぐることができたのですが、
あっという間に潮が満ちてきました。
こんな景色を見ながら床についた宮島の夜でした。
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2005/07/12 21:04 |
厳島神社の大鳥居
宮島に到着したのは夕方。
陽がどんどん西に傾く時間帯。
なんと潮がひいていて、陸づたいで大鳥居をくぐることができました。
丹色がなんとも鮮やかです。
鳥居が海中となる部分には小さな「フジツボ」がびっしり。
アサリなどの大きな貝から小さな巻き貝もたくさんありました。
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2005/07/12 21:00 |
宮島の鹿
広島、宮島といえば厳島・・・
「もみじまんじゅう」はいわずとよく知られたもので。
「もみじ」・・・紅葉は何処にあるんだろうと思いましたが、山のほうにあるようです。
紅葉より先に目に入ったのは「鹿」でした。
奈良公園の鹿より小柄な鹿さんたちです。
地面にはしっかり「黒豆」がたくさんありました。
心しなければならないのは、宮島で「紙」を手に持って歩いてはいけません。
すぐさま鹿さんがよってきてパクリと噛み付いたら放しません。
すべて食べてしまいますのでご注意を・・・。
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2005/07/12 20:54 |
瀬戸内海
いよいよ松山港を出港する高速船に乗りまして、海路にて広島の宇品港を目指します。
瀬戸内海を横断するわけですが、他でもなく義経が平家を追った海でもあります。
一端海にでると右も左もどっちに進んでいるのかすらわからないこの海をよく行ったものだと考えさせられました。
西の方向は山口県と思いながら、早いはやい一時間半ほどで到着してしまいます。
途中、平清盛の史跡・音戸の瀬戸を通過しました。
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2005/07/11 21:36 |
愛媛・松山の路電
私が今まで路電を見たことは、そう無く、昨年11月に北海道・函館で見た路電の記憶があるだけ。
「新撰組」のラッピング路電でした。
今回の旅行では、愛媛県・松山市にて路電を見ることになりました。
松山城は修復中でその姿をよく見ることはできませんでしたが、路電はよく見ました。
さらに、広島に行っても路電はありました。
けっこうあちこちにあるもんですねぇ。
愛媛に行きながら、ポンジュースもみかんも食べることはなかった。ざんねん。
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2005/07/11 21:16 |
「盛岡伝説案内 其の七 盛岡原産の木」について
「盛岡伝説案内 其の七 盛岡原産の木」について
シダレカツラの由来の詳細については、以下のとおりとなります。
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2005/07/10 21:30 |
源平屋島古戦場
屋島の古戦場の史跡は立石漁港に流れる相引川周辺に点在している。
いずれにしても、その当時はここは海であった。
むこうに見える山は五剣山。
一番有名なのは那須与一が平家の掲げる扇の的を射抜く場面である。
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2005/07/10 21:20 |
屋島寺(やしまじ)
天平勝宝6年(754)に鑑真が屋島北嶺に創建。その後弘法大師が屋島南嶺に伽藍を造営した。四国霊場88箇所の第84番札所。本堂は重要文化財。弘法大師が道に迷った時案内してくれたのが四国タヌキの総大将「太三郎狸」であったという。源氏の将兵が刀を洗った血の池こと瑠璃宝池などがある。さらに展望台では高松港や瀬戸内海が一望でき、源氏が戦勝により笠を投げたことにちなむ「かわらけ投げ」がある。
以前は、ここを訪れる修学旅行生も多かったものの、少なくなったという。土産物屋もシャッターを閉めているところが多い...
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2005/07/10 21:11 |
屋島から日が昇る
四国徳島県の高松では、「全日空ホテルクレメント高松」に宿泊。
ここの部屋の外には絶景が広がる。
向こうに「屋島」。眼下に「高松城」。そして夜間はフェリーが行き来していた。
朝を迎えると屋島から日が昇ったのでありました。
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2005/07/09 19:07 |
盛岡伝説案内 其の七 盛岡原産の木
昔、大ヶ生(おおがゆう)・龍源寺の住職に遠野の寺まで行ってくる用ができた。その道中、現・盛岡市内の山中、砂子沢(いさござわ)のあたりで、一本の珍奇な幼木を発見した。そこで、現・大迫町の岳の妙泉寺(みょうせんじ・現、早池峯神社境内)に立ち寄って、庭先にこの幼木を仮植えさせてもらい、遠野の用を済ませると、この木を持って龍源寺に戻った。さっそく住職は本堂裏にこの苗木を植えて成長を見守った。
年月を経ると、この幼木は巨大な姿となった。一方、寺の建物も傷んできて改修ょ余儀なくされた。その際、この木...
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2005/07/09 18:59 |
洲崎寺(すざきじ)
屋島が間近にせまり、義経弓流し跡が近いところに洲崎寺はある。
源平合戦の際、源氏軍が負傷した兵を運び込んだ寺と伝えられていて、義経を庇って矢面になって死んだ佐藤継信は、この寺の扉にのせられて運ばれたという。
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2005/07/08 22:19 |
屋島
屋島とは、その形が屋根のような島で「屋島」だという。
まさしく茅葺き屋根を連想させる形をしている。
徳島県から香川県に入って、どんどん屋島が近づいてきた。
バスは草がたくさん茂っている野原の横で停まった。
そこには説明板もある・・・。
「義経弓流し跡」
もともとは、このあたりは海岸。
1185年の源平合戦で、義経は脇にはさめていた弓を落としてしまう。そこに平家方の越中次郎兵衛盛嗣が熊手をかけて危うく落とされそうになったところを義経は太刀で熊手をあしらい、左手の鞭で弓を拾い上げたと...
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2005/07/08 22:12 |
たけやん
淡路島のパーキングエリアで明石海峡大橋を眺めつつ、
自動販売機を発見してあわてて買ったのは、写真の「たけやん」。
青竹付きの「ちくわ」。そのまんま「竹輪」である。
「おいひい」であり「まいう〜」であり「んまい」である。
・・・ここでビールがあったら最高だった。
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2005/07/08 21:59 |
明石海峡大橋
そんなわけで、神戸から明石海峡大橋を渡って淡路島に上陸。
これが世界一の吊り橋・・・。
橋の上からは、丁度通過時間が手頃で「うずしお」が見えたのでありました。
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2005/07/08 21:55 |
一ノ谷・鵯越の逆落とし
ここが一ノ谷といわれ、見上げる急峻な山。
どれほど急な崖を降りたのか。
そう思いながら麓をバスは走り抜けたのだが、
一ノ谷のイメージがいまひとつ・・・。
明石海峡大橋を渡った淡路島の端っこから神戸方向をみると一ノ谷の山が見えた。
この山を上から馬に乗ったまま下ったのが奇襲として有名な「鵯越の逆落とし」だという。
「一ノ谷」と「鵯越」は地名的には位置がずれていて、本当はどっちだといった論争もあるそうであるが、現場を見れば一目瞭然のような気がするのですが・・・。
でも本当にここを下っ...
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2005/07/08 21:51 |
これが「青葉の笛」
須磨寺に伝わる「青葉の笛」とは、これである。
笛は吹いて使用しているうちはいいが、吹かれることも無くなって幾年月。
この笛はきっと手にとったら砂の如く崩れ去ってしまうのではないだろうか。
熊谷直実に呼び止められた敦盛、時に17歳。笛の名手で美少年だったという。
須磨寺境内には平敦盛の首塚(五輪石塔)がある。かつてはここに笛を奉納して子供の健康を祈る風習があった。
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2005/07/06 22:02 |
義経腰掛松(須磨寺)
兵庫県神戸市須磨区にその名も有名な「須磨寺」がある。
ここは、松尾芭蕉も訪れていて、
「須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇(こしたやみ)」という歌をよんでいる。
ここでいう「笛」というのはかの有名な平敦盛の「青葉の笛」のことである。
ここに、熊谷直実が討ち取った敦盛の首実検をする際に義経が腰掛けたという松の大きな幹が置かれている。すぐ隣には首洗いの池がある。
この「義経腰掛松」は、まるで灰を掛けたように埃が被っているようなグレー色で、松の木らしさが殆ど見られない。
・・・阪神淡路大震災から...
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2005/07/06 21:48 |
弁慶のほろほろ漬
岩手は今年の大河ドラマ「義経」のロケ地にもなっている「藤原の郷」がある江刺で製造している漬け物(刻みのしょうゆ漬)に「弁慶のほろほろ漬」というのがある。
ピリ辛でご飯のお供に最適(私好み)なのでご紹介します。
箱入りのパッケージには「奥州平泉 味の源義経主従東下り」と記されていて、「味の源」と「源義経」がかけてある。さらに平泉の秀衡塗りを思わせるような黒漆に赤の源氏雲。そこに金箔を施したようなデザイン。箱の裏には以下のような説明書きがあります。
勧進帳 義経と弁慶
山伏姿に身...
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2005/07/06 21:30 |
教王護国寺(東寺)の五重塔
鞍馬山を下りて京都の街に戻った。
京都といえば、五重塔。
はじめて京都に行ったときに最初に参拝したのは、この東寺こと教王護国寺であった。日本最大の五重塔といわれるだけあって、その巨大さには圧倒される。さらに、金堂内の仏像が何体も並ぶ曼荼羅空間では時が止まったような錯覚を感じたものだ。
今回は、門前を通り過ぎ去るだけであったが、つくづくこの街は京都と印象づけられたのは、やっぱりこの塔の存在である。
清水寺は参詣したものの、子安の塔にも行っていない。まだまだ京都の街で見ていない箇...
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2005/07/06 21:11 |
盛岡伝説案内 其の六 江戸のおもかげ
去る二〇〇一年の五月に、北山の南部家菩提所「聖寿禅寺」の本堂入口に祀られていた南部家ゆかりのお地蔵さんが、市内中心部の桜山神社に移された。
「おもかげ地蔵尊」と呼ばれるこのお地蔵さんの由来は、七千人以上もの犠牲者を出した安政の江戸大地震の際、盛岡藩江戸屋敷では、建物が全壊したにもかかわらず、お地蔵さんり守護により死者・けが人も少なく、特に子ども達を守ったとされている。
南部藩江戸屋敷といえば、現在の東京都港区麻布の有栖川宮記念公園がその敷地の跡と伝えられていて、付近は大使館やインター...
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2005/07/06 20:57 |
鞍馬寺のお土産
鞍馬寺の本殿金堂まで登らなければ手に入らないわけなのですが、ここのお土産でいくつかあるオススメのひとつがコレ。
もっとも、団扇で仰ぎたい気持ちになったのがホンネでありますが、丁度良く販売されていたのがこの「降魔扇」であります。
柴田晩葉さんの描いた図柄は、護法魔王尊と脇侍の遮那王(牛若丸)。
禍いを払い清めよこしまを正す祈りがこめられているとのこと。浄風と共に、清めの活力をお受け下さいと記されている。
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2005/07/05 21:55 |
義経堂
鞍馬山参拝もなんとか目的の「義経堂」までは行かなければ今回の目的は達成しない。
途中の「僧正ガ谷」とよばれるあたりの「木の根道」は800年もの昔もこのような具合だったのだろうかと疑わずにはいられないものの、確かにこのような山道を夜な夜な往復すれば八艘飛びのような身のこなしは可能になるかもしれない。大変だけれどもこの「木の根道」を通って大杉権現を参拝することは鞍馬山に来た価値十分である。
「不動堂」というお堂が現れると、その前の大きな杉木立の合間に「義経堂」はあった。
7歳のときに鞍馬に入...
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2005/07/05 21:41 |
源義経公背比石
鞍馬寺の本殿金堂から山道を進むと霊宝館がある。
しかしながら月曜日で休みだったので、毘沙門天さんにお逢いすることはできなかった。
このすぐそばには与謝野晶子の移築保存されている書斎の「冬柏亭」がある。
さらに進むと「牛若丸息つぎの水」がありましたが、しずくがポタリポタリという具合。
それでも3滴ほどいただきました。
さらに進むと「源義経公背比石」が現れた。
ホントに120センチ程度の高さの石。将棋の駒を思わせるような形。
ここから鬱蒼としている中は「木の根道」で大杉権現に至る。こ...
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2005/07/05 21:21 |
尊天降臨
義経供養塔からさらに山道を進むと中門がある。これを抜けて九十九折れの参道を進むと本殿金堂のある広場にでる。
この広場の南端に平安京を守るために鞍馬寺の本尊が降臨したという場所があり、「翔雲台」と呼ばれている。ここには本殿金堂裏の経塚の蓋石が置かれている。
鞍馬山は千手観世音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊の三身を一体とし「尊天」として信仰している。
翔雲台からは、比叡山の尾根を眺めることができ、晴れた日には遮那王も比叡の峰を眺めていたことだろう。
本殿金堂内で御朱印をいただくことができ、天...
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2005/07/05 21:06 |
盛岡伝説案内 其の五 盛岡の京都
市の中央を中津川が流れていて「上の橋」「中の橋」「下の橋」の三橋がある。上下二橋の欄干には珍しい擬宝珠が附いているが、上の橋のは慶長十四年、下の橋のは慶長十六年と刻んであるが数個混在していて、中之橋と刻まれたものもある。この擬宝珠の由来はなかなか興味深い。
南部十二代政行公の京都在番中の或る年の春、時ならぬ鹿の鳴き声が帝の耳にも届き、「奇怪の事である、洛の内外に触れて歌伏せにせよ」との命が下り、「春鹿」の御題が出された。その時の政行公の詠歌は、
「春霞 秋たつ霧にまがわねば 思い忘れ...
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2005/07/04 21:19 |
義経公供養塔
鞍馬山の由岐神社から少し右手に登ったところに「源義経公供養塔」が建つ。
ここは東光坊跡であり、牛若丸が遮那王となって7歳から約10年間住んだ場所と伝えられている。
鞍馬山の「木の根道」といった修行場は、この先1時間も行ったところになるのだが、灯り一つ無い山道を行き来した遮那王の思いはいかがなものであったのだろうか。
ここから、京の町に行き来するにしても大変なもの。
「ホントに牛若はここに住んで行ったり来たりしていたの?」と驚かずにはいられない。
やはり天狗の術を身につけたか・・・とも...
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2005/07/04 20:55 |
鞍馬の火祭りは由岐神社の祭り
鞍馬寺の山門をくぐり、ケーブルカーに乗らずに左の山道をいくと、突き当たりに由岐神社がある。
天慶3年(940)、鞍馬寺が御所から鎮守社として勧進した神社で、矢を入れて背に負う「靫(ゆぎ)」を祀って世の平穏を祈るところという。ここが鞍馬の火祭りが催される神社で、実際に用いる大きさの松明が飾られていた。ここでいただく御朱印にも「鞍馬の火祭り」と入る。
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2005/07/04 20:48 |
盛岡伝説案内 其の四 桜雲石
内丸の盛岡地方裁判所の前に国指定天然記念物の『盛岡石割桜』がある。戦前の観光案内には、『一株の櫻樹巨岩の中央を劈きて生じ他に見られない奇観である』と記されている。掲載した写真は平成五年頃に撮影したものと記憶しているが、現在より枝も多くて外科手術前最盛期の姿である。エドヒガンザクラともいわれる種であるというが、一般的なソメイヨシノに比べて大変花が小さいのが印象的な桜である。明治天皇東北御巡幸の折りにご覧に入れた際の「桜雲石(おううんせき)」という別名を持つが、その頃、これほどの枝振りは想像でき...
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2005/07/03 19:52 |
京都市左京区 鞍馬寺
源平歴史浪漫紀行もいよいよ今回の旅行目的のトップポイントのひとつ鞍馬山に入る。
「鞍馬山入山参拝の心得」というのがある。
鞍馬山は信仰の道場です。浄域を守るためにご協力願います。
1 大きな音を出したり騒いだりせず、静けさを大切に。
2 あきかん等のゴミ(役目を終えたもの)は、お持ち帰りを。
3 建物や設備等をきずつけたり、こわしたりしない。
鞍馬山は大自然の宝庫です。この自然を大切にしましょう。
1 火の用心に心がけて下さい。たき火はしない。タバコのすいがらも捨てない。山火事に...
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2005/07/03 16:50 |
盛岡伝説案内 其の参 虎屋敷に梅の花咲く頃
盛岡の街中で目に見える残雪が少なくなると、「マンサク」や「サンシュユ」の黄色い花が、いよいよ春の到来を伝え、「梅」「桜」とほころび始めるのも、間近となる。例年、花見の賑わいを見せる盛岡城址の「梅林」のあたりに「虎屋敷」と呼ばれた所がある。
その昔、大阪夏の陣に出陣した南部利直公は、帰りに駿府(静岡県)に立ち寄ると徳川家康公に労をねぎらわれて、カンボジアから献上された虎二頭を賜った。その虎は「乱菊丸」「牡丹丸」と名付けられた雌雄であった。
ある時、「乱菊丸」は檻を抜け出したという。中津川...
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2005/07/03 06:45 |
義経伝説紀行ラッピング電車
今年になってから、東北本線の
盛岡〜一ノ関間の電車でJRの企画「義経伝説紀行」と題して義経・弁慶の絵・シルエット・笹竜胆をデザインしたラッピング電車が走っています。(外観だけですけど)
平泉・中尊寺では11月30日まで讃衡蔵テーマ展「平泉と義経」
平泉郷土館では11月10日まで特別展「源義経」を開催しています。
さらに盛岡では、
「義経展 〜源氏・平氏・奥州藤原氏の至宝〜」が7月23日から9月4日まで岩手県立博物館で開催されます。この展示中講演会は
7月31日「平家納経と中尊寺経の...
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2005/07/03 06:31 |
文化地層研究会 地図製作由来
「6月24日」について
今頃気付いたので記しておきます。
6月24日は、現在の文化地層研究会に至る発端の「地図製作ひらめきの記念日」であります。
会自体は2000年に発足なのですが、活動が躍進したといえる地図発行に関して、そもそもの発端が6月24日でありました。
地図製作発案の発端というのは、写真の盛岡市・県庁市役所前バス停に由来します。以前は「内丸(うちまる)」というバス停でした。しかし、2001年春に名称が変更されてしまいます。
「古い地名を残していくにはどうしたらいいか」がはじま...
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2005/07/02 05:29 |
「仙臺文化」をいただきました
宮城県・仙台市の渡邊慎也様から
杜の都の都市文化継承誌 仙臺文化 2005年5月 創刊号
をいただきました。
これは、そのタイトル通り、都市文化をメインとした「タウン誌」です。
盛岡のタウン誌「てくり」では、創刊記念イベントの開催に際して助成金を使用したとのことでしたが、この「仙臺文化」さんでは、発刊に助成金を使用しています。
そして、やっぱり「てくり」同様にスポンサー、つまりは広告を掲載しないという主旨があるようです。
私の文化地層研究会でも、会の発行販売物には広告を掲載しないで...
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2005/07/02 05:01 |
城郭めぐり
6月上旬に行った「源平歴史浪漫紀行」ツアーでは、外観だけでも城郭を見る旅でもありました。写真は京都・二条城です。内部はまだ見たことが無いので、今度京都に行ったらゆっくり見たい箇所のひとつです。
この「二条城」が城郭巡りのはじまりでした。
その後、高松城・松山城・広島城・福山城・姫路城と見ることになりました。
「高松城」は、ホテルから全容を見下ろす具合。海の水が濠になるめずらしいタイプ。
松山といえば、道後温泉・坊ちゃんで有名ですが、現在、「松山城」は修復中。
ずいぶん高いところに建っ...
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2005/07/02 04:36 |
盛岡伝説案内 其の弐 消えた手形
二月・如月を迎えると暦のうえでも春を迎える。しかしながら、盛岡のうららかな春の到来はほど遠い。そんな中、立春を迎える行事「節分」がある。神社や寺院などでのいわゆる「豆まき」は盛んであるが、昨今の一般家庭で「節分行事」は続けられているだろうかとも思うところ、近年では、その年の恵方に向かって太巻き寿しを食すということが行われる様になってきた。
さて、「節分」といって登場するのは「鬼」であるが、盛岡の三ツ割辺りにも、その昔「羅刹(らせつ)」という鬼が現れて、庶民に悪さを働いたそうである。困り果...
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2005/07/02 04:13 |
盛岡伝説案内 其の壱 義経石は何処
全国的にも義経・弁慶伝説の地は多く、中でも弁慶伝説の石というのは数多く残されているらしい。今年のNHK大河ドラマは「義経」ということもあり、この連載の初回には、関わる伝説を紹介したいと考えた。
衣川から京都の町に帰りたいといって運ばれ、置かれた地の名前は「弁慶石町」という伝説の石もあるが、私が印象深いのは奈良県吉野の吉水神社境内にある「弁慶力釘」という、石に鉄釘が打ち込まれたもの。岩手県内でいうなれば、遠野にある「続石」が有名だ。
こんな義経・弁慶伝説、盛岡にもあるものかと探ったとこ...
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2005/07/02 03:48 |